行政書士が主人公のカバチタレという漫画がありますが、気楽に法律問題を読める漫画として私も愛読しています。
カバチタレという漫画はエンターテイメントであることと、おそらく厳密な弁護士による監修は受けていないと思われるので鵜呑みにしてはいけない面がありますが、法律問題に巻き込まれる一般市民の描写がリアルで読ませるものがあります。
9月に出た最新刊では離婚問題を扱っていますが、面会交流が大きなテーマになっています。
妻が養育する子と面会交流したい夫に対し、夫の細かい性格が嫌で離婚したのに面会交流を理由に会い続けなければならないことに我慢ができない妻が出てくるのですが、ありそうな感じだなあという気がします(実務面の描写については違うと感じる点もありますが、そこはここでは触れません)。
私は妻側についていて面会交流が絶対正義だという風潮がどうなのかと思うところがあります。
面会交流は子供の健全な発育に必要なものであり、できる限り実現すべきものである。面会交流が認められないのは面会交流の実現によって明らかに子の福祉が損なわれると認められる場合だけである、という考え方が最近支配的になってきました。調停委員もだいたいの方がこのように説明されますし、弁護士も聞かれると基本的には認められるものであると答えるでしょう。
離婚しても子供との関係では親であることに変わりがないので関わってもらってかまわない、あるいは関わってくれたほうが望ましいと考える妻も多いと思います。実感ではどちらかというとその方が多いと思います。しかし、そうでない場合に無理して面会交流をすることが正しいのだろうか、という気がしているのです。
面会交流が子供の健全な成長に本当に一律的にプラスといえるのかというのは親子関係がどれ一つとして同じものはないことからして、心理学上証明することは不可能だと思います。
この点、少なくとも最高裁は諸事情を比較考量して面会交流が子の利益に適う時に実施するものであると判断しているはずであり、面会交流が認められない事情は広く捉えるべきである、という論述が「裁判例からみた面会交流調停・審判の実務」(日本加除出版)という本に載っており、示唆に富むと思いました。
面会交流は親の権利ではなく、子供のためのものであるということは議論の余地がないところです。
そうであるならば、面会交流が本当に子供のためになるのか、非監護親の自己満足のためではないのか、ということは丁寧に審理されるべきでしょう。
そして、後者であると思われるのであればそこは争ってもいいのではないかと思います。